『緑ヶ丘地区敬老会』で本校の子ども(2年生)が作文「私のおじいちゃん」を発表する
- 公開日
- 2013/09/08
- 更新日
- 2013/09/08
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本日(8日(日))9:30〜、緑ヶ丘ふれあいセンターに於いて『緑ヶ丘地区敬老会』が開かれ、式次第の中で本校の子ども(2年生)が作文「私のおじいちゃん」を発表しました。温かい作文内容に会場に居たおじいちゃんやおばあちゃんの皆さんは、思わず笑顔になっていました。
以下に、作文を掲載します。
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私のおじいちゃん
私の祖父は、優しくて面白いとってもいい人です。怒るときはすごく怖いです。
そんな祖父は、私が幼かった頃、いろいろな場所に連れて行ってくれました。「いろいろな場所」と言われて、ほとんどの人がイメージするのは遊園地や公園だと思いますが、私の祖父は山や海といった自然が豊かな場所へ連れて行ってくれました。その中で特に印象に残っている場所が、二ヶ所あります。
一ヶ所目は山です。祖父と山に行くと、いつも決まって山菜採りをしていました。山菜採り名人の祖父は採る係で、目の良い私が見つける係でした。私は山菜を探すことが面白かったので、時間を気にせず夢中になって探しました。それを止めるサインは、祖父の「もう、帰るか。」という言葉で、その言葉がかかる頃には、山菜を入れる袋がパンパンになっていました。
そして、祖父と「今日もいっぱい採れたね。」と、笑いながら話をして帰るのが、本当に大好きだったことを覚えています。
二ヶ所目は川です。その川は春から夏にかけて行く所で、春は魚を釣り、夏は川の中に入って魚を捕ったり、川で泳いだり、バーベキューをしたりしました。祖父は、山菜採りだけでなく、川魚捕りも上手で、「十五センチの岩魚を釣ったんだよ。」と自慢していました。いつも私は小さな魚しか捕れなかったれど、捕れたときはとても嬉しかったです。さらに嬉しかったのは、祖父に「すごいな!たいしたもんだ。」と褒められたときでした。
幼い頃に連れて行ってくれた山と川はとても楽しく、今は良い思い出になっています。こんな風に良い思い出をつくることができたのは、祖父が私のことを大切に思ってくれているからだと、私は思います。
私が大きくなるにつれて、前のように祖父と出掛ける回数が減った上に、話をすることも最近は少なくなりました。なぜそんなことになったのでしょうか。その原因は私にあります。祖父は、私がお出掛けに行く前に、必ず玄関前で「車には気をつけるんだよ。何かあったら直ぐじいちゃんに電話しなよ。」と言ってくれたり、自分が出したものを出しっぱなしにしていると、「元の場所に戻さないと、次をそれが必要になった人が場所が分からないで困るし、それをなくしちゃうかも知れないから、ちゃんとしまいなさい。」と、注意したりしてくれます。でも私は、私のためを思って言ってくれるそんな言葉を「うるさい」と思ってしまい、祖父と喋らなくなってしまいました。それが原因です。
しかし、私は祖父と話さなくなることことを、それほど悪いとは思いません。なぜなら、その方が祖父と話している時間を、大切にするようになるからです。毎日何時間も話していると、話すことが当たり前と思ってしまうため、記憶に残りにくくなります。しかし、毎日少しだけ話していると、私が大人になったときも、「私は、あのときおじいちゃんと、あんな話をしていたな〜。」と、覚えていられるはずです。
今と昔で思い出のつくり方は違うけれど、私の祖父が最高なことは違いません。これからは、そんな最高の祖父と、大人になったとき話しきれないくらいの思い出を、いっぱい、いっぱいつくっていきたいと思います。
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