「飛べ〜輝いた自分へ贈る最後のメッセージ」(平成9年度卒業文集より)
- 公開日
- 2013/10/05
- 更新日
- 2013/10/05
その他
学校に保管されている卒業記念アルバムには、緑ケ丘中学校のいろいろな歴史や逸話が残されています。
当時(開校2年目)卒業記念アルバムの中の卒業文集である生徒が書いた文が目に止まりました。以下に原文の一部を抜粋して紹介します。
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飛べ〜輝いた自分へ贈る最後のメッセージ
九年間、これほど長い義務教育の中で僕の義務教育への思いも次第に変わっていった。小学校の時、僕はこう思っていた「ちっ、なんでこの寒い中早く起きて学校に行かなきゃならんのだ。政府は何をやっているんだ。」それが最近になってこう変わった。「ちっ、なんで高校受験なんてあんの?高校も義務教育にしてよ。政府は何やってんだ。」つまり、試験も受けずただで学校に行けるのがどんなに楽なのか最近になって分かり始めたのである。特に小学校なんて遊んで遊んで無茶苦茶幸せだったと今思う。しかし、小学校の頃の思い出は忘れてしまっているので、中学校の思い出を書くことにしようかな。
まず僕は宮城中学校(宮中)に入った。そこで驚いたのは「中間テスト」なるものが合ったこと。慣れるまでは大変だった。部活は卓球部という誠にかっこいい部に入った部での思い出はいろいろあるが、先生が「必殺卓球マシーン」を持っていたのが一番心に残っている。また芋煮会も感動ものだった。何が感動かというと、芋煮会なのにだれも芋煮を作っていないのもあったが、一番は他の班が作った「煮込みラーメン」である。ネチョネチョしていたものの味は最高だった。
さて、カブトムシに囲まれた宮城中を去った僕達がやってきたのが緑中(みどちゅう)である。不思議なことに僕には二年生の思い出がほとんどないのだが、唯一「寅さん」は覚えている。さえない役だと思ったが、やっているとかなり難しかった。さすが「タコ社長」だ。三年になると今度は文化祭でまたもや変な役をやった。あまり僕に似合わない役であったが、けっこうこなしていた。やったね。
さてと、つまりまとめると、とても楽しかった。三年生のみんな、ありがとうね。忘れないでね。忘れないか、強烈だものね。
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