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太平洋戦争中、郡山にもあった空襲2

公開日
2023/08/15
更新日
2023/08/15

お知らせ

 郡山市は、1945年(昭和20年)4月12日、7月29日、8月9日、10日の計4回空襲を受けました。
 当時の郡山市には、三つの航空基地があり、保土谷化学工業郡山工場、三菱電機郡山工場、中島飛行機郡山工場、日東紡績などの軍需工場で落下傘や風船爆弾などが製造されていたため、空襲を受けました。
 中でも、4月12日の空襲は最も被害の大きい空襲となりました。4月12日の空襲では、数十機からなるB29爆撃機が飛んできて、保土谷化学郡山工場、日東紡富久山工場などを中心に攻撃を受けるとともに郡山駅周辺も被害を受けました。死者は学徒動員された学生、生徒、周辺住民など合計で460人だったと言われています。
 私たちの住む郡山市も、戦争の影響を受けていたのです。

↓爆撃を受けた日東紡績富久山工場↓