二人の素晴らしい活躍そして函館の街を知る
- 公開日
- 2018/09/05
- 更新日
- 2018/09/05
桑野小の今
夏休み中に、本校の二人の子どもたちの活躍で函館まで応援に行く機会がありました。当日は、あいにくの天候でしたが、二人とも最後まで懸命に記録を目指し取り組んでいた姿は、本当に素晴らしかったです。
さて、今回訪問した函館は、異国情緒あふれるにぎやかな街として知られていますが、今のような街になった背景には、何かもとになる出来事があるものです。いろいろと調べてみました。
函館は、江戸時代の終わりごろ、日本で最初に海外に門戸を開いた街のひとつということはよく知っていると思いますが、意外と知られていない当時の函館の人たちの様子をよく表しているエピソードがあります。それは、函館の人の気質をよく表し、この街を発展させてきた先人をよく知る手がかりになると思うからです。
当時の史実に基づいて描かれた「とっ珍さんはおおいそがし」という絵本を紹介します。
函館山のふもとにある実行寺の小坊主・とっ珍さんは、お寺にやってきたロシア人領事一行のお世話に大忙しでした。この時にハリス正教会の仮聖堂が実行寺境内に建てられました。とっ珍さんはそこで歌われたロシアの歌(ハリストス正教会の聖歌)にすっかり魅せられてしまいます。僧侶の読経と聖歌が同じ敷地から聞こえてきたというわけです。ロシア領事一行が、実行寺から現ハリスト正教会へ領事館を移してしまってからも、和尚さんには内緒でとっ珍さんはその後もずっと聖歌を聴きに行ったというお話です。
当時の函館では様々な国の領事を受け入れ、「宗教の異なる外国人を住まわせるだけでなく、境内に仮聖堂を立てる許可まで与えるという寛容な心で接した」とのことです。そこで歌われたハリストス正教会の聖歌が、日本で初めての混声合唱とも言われています。この函館という街を発展させた先人は、異国の異なる宗教をも、おおらかな心で受け入れて、新しいものをどんどん吸収したのです。こうして、今の函館のにぎやかな街が形づくられてきました。