学校生活の様子

経験によって育つもの

公開日
2018/03/13
更新日
2018/03/13

桑野小の今

 ある日の午後のこと、私は、玄関でお客様を見送っていました。そこに1年生の男の子が不安そうな顔をして近寄ってきました。
 「あのね、友達のA君が危ないことをしてけがをしてしまったの。それでね、ぼくがまた学校に連れてきたの・・・」
 その子のとぎれとぎれな話から、1年生のA君が、近くにある公園で遊んでいて、遊具からジャンプしてころんでけがをしてしまったことが分かりました。
 1年生の担任が、やさしく励ましながらA君を保健室に連れて行きました。養護教諭が、すぐに手当てをしてくれました。家に電話をすると、おかあさんが迎えにきてくれるとのことでした。
 それにしても、友達が大変なことになった時に、学校まで連れてきてくれた子は、実によい判断をしてくれたと思います。A君をすぐに保健室へ連れて行った養護教諭の処置もさすがでした。けがをしたわけを聞くことも大事ですが、この場面では、手当てをすることを最優先にすべきなのです。
 保健室に担任や生徒指導担当がやってきて、にわかに怖い顔をして「今度、危ないことをして遊んだら先生怒るからね!」と叱ったこともありがたいことでした。
 このような場面では、やさしくしてくれる人間と、きびしく叱ってくれる人間の両方が必要なのです。みんながやさしいだけではよくありません。みんながきびしいだけでもよくありません。両方の人間がほどよくいるのがよいのです。子どもは、その両方の人間から人生の教訓を学び続けるのです。
 玄関にA君のお母さんが見えられたようです。車から降りたときの心配そうな顔が、わが子を見た瞬間、笑顔に変わりました。
 A君は、車までお母さんに手を引かれていきました。ついさっきまでしょんぼりしていたA君にやって笑顔が戻りました。おかあさんに手をつないでもらって、ニコニコとうれしそうです。ほっとしたのでしょう。お母さんの手が温かくて心地よかったのでしょう。
 A君は、いやな思いをしたおかげで、「無茶なことをしていけないこと」、「友達も先生もとてもやさしいということ」、「危険なことをすると怖い先生がいるということ」と、「お母さんの手が、とても温かくて心地よいということ」の記憶を心に残したことになります。
 人間の成長に必要な記憶は、時として冒険に寄り添って蓄積されていくものかもしれません。