子どもの目の高さで考える
- 公開日
- 2017/10/10
- 更新日
- 2017/10/10
桑野小の今
思いやりの心
人は喜びを分かち合えば
喜びは倍になり
悲しみを分かち合えば
悲しみは半減する
人にされていやなことは
人にはしない
人にされてうれしいことは
人にもしてあげる
時代が変わっても
国が異なっても
身につける不易の心
それは思いやりの心
授業の中での子どもたちの表情は実にさまざまです。たとえば、発問を投げかけると、即座に手を上げる子がいます。手をあげようかどうしようか、モジモジしながらあげたり下げたりしている子がいます。早くはありませんが、指先をそろえてピンと伸ばした手のあげ方をする子がいます。
手のあげ方ひとつをとってみてもこうなのですから、子ども一人一人をとらえるということは大変むずかしいことなのでしょう。でも、そのことがむずかしいことであっても、今、目の前にいる子どもが「どう思い、どうしようとしているのか」からはじまるのだということを大切にしていかなければならないと思います。怖いのは、それであたりまえのように思って、足もとが見えなくなってしまうことです。子どもをとらえそこねたり、とらえたりする努力もしないまま自分では精一杯やっているつもりになってしまうことです。子どもに「私のことなどわかってくれない」という思いを持たせるのはそういう時です。
子どもは、どの子も将来どの方向にどれだけ伸びていくかわからない可能性を秘めており、成長・発達していく過程的な存在です。ですから、人格や存在そのものを決めつけるような見方やかかわり方をしてはならないと考えます。
子どもの内面の奥底までも共感的に理解しようと努力することによって、子どもを肯定的に見ることができ、子ども一人一人を生かす場やチャンスが生まれてくるのだと私は思います。