姉妹都市鳥取・郡山交流会を終えて
- 公開日
- 2010/09/24
- 更新日
- 2010/09/24
学校の風景
1880年(明治13年)から1887年にかけて、安積開拓のため、旧鳥取藩士やその家族270人が、広谷原(現在喜久田町)に移住し、苦労の末、困難を極めた安積開拓を成し遂げました。
郡山市は、平成17年に鳥取市との姉妹都市を締結。
平成21年からは鳥取市の小学生との交流がスタートしました。
そして、今年度は、郡山市の小学校29校の代表が、交流を深めようと鳥取市を訪問しました。本校からも6年の女子児童が参加し、8月3日〜5日の3日間にわたり、価値ある研修を深めてきました。その報告文を紹介します。
「姉妹都市鳥取・郡山交流会を終えて」
姉妹都市鳥取市との交流会は、私の一生忘れられない思い出となりました。
交流会当日、鳥取市の方々の温かい歓迎に、私は感動しました。
明治初期、旧鳥取藩士族の方々が郡山の地に移住し、安積開拓に御尽力されました。この歴史的背景が縁で、郡山市と鳥取市は、平成17年姉妹都市となりました。鳥取と郡山は今も固い絆で結ばれています。
翌日は、鳥取市の小学校の皆さんとの交流会でした。遊覧船に乗って鳥取の海を巡りました。海は碧く透き通っていました。交流パーティーでは、郡山の良さを教えたり、鳥取の良さを聞いたりしました。私は、記念品贈呈を担当しました。郡山市のキャラクター「がくとくん」のキーホルダーと、十二支の張り子を贈りました。
鳥取の夏祭りで踊る「傘踊り」を一緒に踊りました。昔、干ばつで困った人々が雨乞い踊りをしたところ、恵みの雨が降り、米がたくさん取れたのだそうです。郡山の「うねめ祭り」とは違った伝説が踊りになっていました。
郡山市のシンボルの花・鳥・木、そして特産物や有名な物など、事前に学習していったことを、私はたくさんの鳥取の方々に話しました。お返しに、鳥取市のことをいっぱい聞きました。初めて聞く事ばかりで、楽しかったです。みんなも初対面なのに、笑顔で会話をしていました。私も自然と口から言葉が出てきました。ずっと前から知っているように感じました。
郡山に帰る日、有名な鳥取砂丘に行きました。広い砂浜、青い空、きれいな海。とてもすてきでした。きれいな景色を眺めていると、3日間のことを思い出しました。
別れのときは、寂しい気持ちが込み上げてきてたまりませんでした。お腹に力を入れてこらえました。
鳥取のよさをたくさん学んで、鳥取が大好きになりました。
<「鳥取砂丘」の写真は、ウィキペディアよりお借りしました>