今朝は、大変に冷え込みが厳しくそのうえ霧がかかっていました。
何気なく使っている霧ですが、霧と靄(もや)の違いは何でしょう?いつものウィキペディアでは、『霧と靄の違いは、視程の低下の程度の違いであり、気象観測においては視程が1 km未満のものを霧といい、1km以上10km未満のものは靄(もや)と呼んでいる。』のだそうです。そうすると、『五里靄中』ではなく「五里霧中」なのはなるほどのことなのですね。
さて、冬の朝というと中学時代に学習した『枕草子』を思い出される方も多いと思われます。冒頭の冬の段では、
『冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭もて渡るもいとつきづきし。〜』
何とはなしに、「冬は早朝がよい。雪の降った朝は言うまでもなく、霜の降りている朝もすばらしい。」と口語訳して終わってはいませんでしたか?
でもよく考えてみると、冬のしかも早朝なんてみんな寒くて寝床から出られない嫌な時間帯なのに、清少納言はもっとも趣があると言っています。しかも、雪や霜が降りているのはさらによいとも・・・。
平安の時代。今ほど暖房器具などはなく、京都は底冷えの厳しい土地柄。よっぽどの健康人であったと考えられます。体の弱い方が、寒さの厳しい寒さを好むはずはありません。また、寒いなら極端に冷え込む雪や霜を好む当たりに、清少納言の性格的なものも起因しているのでしょう。つまりは極端を好む性格とも言えるかもしれません。寒いなら寒い、中途半端は許せない!(少し身勝手な解釈かもしれません・・・)同じ時代を生きた紫式部へのライバル心などからもそう考えられます。
冬の朝に『心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくって(徒然草より)』しまいましたが、この3連休には荒天が予想されています。くれぐれも交通安全にはご注意下さい。文責:真船