第36回みんなで交通事故をなくそう郡山市民大会
- 公開日
- 2013/07/13
- 更新日
- 2013/07/23
学校日記
7月12日(金)、第36回みんなで交通事故をなくそう郡山市民大会が、郡山市文化センターで開催されました。本校からは、3年5組の高田翔平くんが、中学生代表として体験発表を行いました。高田くんの堂々とした発表の様子と原稿をご紹介いたします。
「事故にあって気づいたこと」
郡山市立明健中学校3年 高田 翔平
中学二年生の夏休み、僕は事故を起こしました。学習塾の夏季講習最終日の帰り道、夜十時頃のことでした。下り坂を急いでいた僕は、前から来る通行人とぶつかりそうになり、よけたはずみで車両進入禁止の鉄製のガードにぶつかったのです。僕は顔からコンクリートに落ちました。顔を何か所もすりむき、着ていた青色のTシャツが、血で赤色に染まるほどのけがをしました。自転車はぶつかった衝撃で半分に折れ曲がり、気づいた時には道路に横たわっていました。
顔から大量の血を流し、折れ曲がった自転車をかつぎながら家に戻った僕を見て、両親は泣きそうになりながら僕を救急病院へ連れて行ってくれました。僕は、あまりの痛さと事故のショックで熱を出してしまったのです。病院では脳の検査も受けましたが、ただ「痛い。痛い。」としか話せませんでした。
検査の結果、大事には至らず、すり傷だけで済んだのですが、自分がこんなことになってしまったのが悲しくて、心のざわつきが止まりませんでした。
家に帰ったとき、父が僕を見て、「翔平、生きていてよかったな。」とぼそっと言いました。母も「このくらいのけがでも、親はものすごく悲しくなるんだよ。」といいました。
実は、事故の翌日は、サッカー部の遠征で松島に行くはずでした。僕は、遠征に行くのを心待ちにしていたのに、事故のせいでいけなくなったばかりか、チームの友達や先生に迷惑をかけてしまったのです。
事故から数週間が過ぎ、なぜ事故を起こしたのか自分で考えました。僕は塾が終わってうれしいのと、遠征が楽しみで、気持ちが舞い上がっていました。それから、事故を起こした下り坂は危ないから通らないようにと両親に言われていたことを守りませんでした。とても乱暴な運転をしていたと思います。通行人を巻き込まなくて済んだのは、不幸中の幸いでした。これで人をケガさせたりしたら、僕は最もつらかったと思います。
事故の傷は、まだ顔に残っています。今でも鏡を見る度に、傷がうずきます。僕は二度と危険な運転をしません。自分やまわりを悲しませるのはもう嫌です。