学校生活の様子

あの日のこと (No.470)

公開日
2025/03/11
更新日
2025/03/11

お知らせ

 3月11日(火)です。

 今日は、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災から、今年で14年となります。



 私はその時、H小学校に勤めていました。今まで経験したことのない強い揺れにおそわれ、机の下にもぐって動かないようにしているのがやっとでした。どうしたらいいのか、わかりません。教頭先生に「もう逃げなくちゃだめだ」と言われて手を引かれて階段をかけおりました。大きな揺れはもう一回やってきて、地面がゼリーのように動いていました。揺れがおさまって職員室にもどると、机の上にあったものはパソコンだろうが卒業証書だろうが、飲みかけのコーヒーだろうが、いっしょくたになっていました。書類がたくさん入っていて、動かせないロッカーは1m以上動いて通路をふさいでいました。



 体育館のガラスはほとんどが割れて、地面に落っこちて、そのくだける音と地鳴りは、何十台もの車がぶつかったようでした。火を消すための水そうにくっついているはずのパイプはちぎれて、水がどんどん流れ出ていました。校舎と校舎の継ぎ目がずれていたり、きれいだったはずの壁ははがれ落ちていたりして、これからどうなるのか、不安しかない状態でした。



安全な学校ですらこのありさまでしたから、木造の家に住んでいた自分のお父さんやお母さん、家に帰る途中だったと思われる娘たちは、もう生きていないかもしれない、と思いました。この日は夜の10時ごろにようやく家に帰ることができました。家の中は落ちたもので足のふみ場がありませんでしたが、家族はみんな無事でした。



 子どもたちの中で、震災を経験した人はいませんが、皆さんのご家族が生きていたからこそ皆さんが生まれたのです。あたりまえにあった水や食べ物、電気、ガス、電話、車の燃料がなくなって、それを求めるのに何時間も並んで、その場その場をしのいできたのです。そんな日本を見て、世界各国が助けてくれたこそ、今があるのです。だからこそ、この震災を忘れてはならないのです。生き抜いてくれた家族に感謝し、生き抜くように支援をしてくれた方々に感謝し、生き抜くために自分を犠牲にしてまで働いてくださった方々の恩を絶対に忘れてはならないのです。



 今すぐに私たちのできることは何でしょうか。それは、犠牲になった方々へ、いたましい気持ちや悲しみを込めて祈ることです。地震が起きた午後2時46分には早いのですが、守山小学校の皆さんの思いが届くように、全員で黙とうをしたいと思います。



 黙とう(30秒ぐらい)



 皆さんのご協力、ありがとうございました。これからもみんなで手をたずさえて、お互いを思いやる心を大切にして、毎日の生活ができていることに感謝し、日本人の一人である守山小のみなさんのよさを生かして、生活していきましょう。